『最高機密』~歴史の扉を開けた男たち~<3>


Emblem of the GRU (Главное Разведывательное Управление)


第一章 ロンドン 1961年4月


今ぞなれを奴隷とする鎖をくだけ

自由民たるか はた永遠に奴隷たるか

今ぞそを決するの秋(とき)

忠実に誓わんかな

暴君の桎梏(しっこく)をもはや負わじと        ペテーフィ・シャンドール


1 ファースト・コンタクト


 一九六一年四月二十日深夜、ロンドン中心部のオックスフォード街に建つマウント・ロイヤル・ホテルのスィート・ルーム応接室は、興奮を深く内に秘めた静けさが支配していた。

 アール・デコ調の内装が施された応接室の中央には、どっしりとしたセンター・テーブルが置かれている。それを囲むように配置された革張りのソファには、正面奥に訪問客の男、左右に英国人二人と米国人二人、男の向かいには男と旧知の英国人が、それぞれ位置を占めている。

 男と旧知の英国人は、グレヴィル・ウィンと言った。表向きは英国の電気・鉄鋼・機械製作会社の代表で、ソ連ブロックの国々と英国など西側諸国との間の貿易業務に携わる国際貿易業者だが、実際は英SIS(秘密諜報部)のために働いていた。

 ウィンは、英国人二人を、まず男に紹介した。

 「SIS作戦担当最高幹部のハワード・シャゴールドとソ連専門家のマイケル・ストークです」

 英国では、ドイツの諜報活動から国家を防衛する目的で、陸軍大尉ベルノン・ケルと海軍大尉マンスフィールド・カミングスによって一九〇九年に創設された特務機関が、その後、二つの組織に分かれ、カミングスが率いる対外諜報部門が今日のSIS、ケルが率いる国内防諜部門が、SS(保安防諜部)となった。

 SISは、映画007シリーズの秘密諜報員ジェームズ・ボンドが所属するMI6(軍事情報部第六課)、SSは、MI5(軍事情報部第五課)の呼び名で知られているが、これらの名称は当時のミリタリー・インテリジェンス(MI)の名残とされる。

 ウィンは、米国人二人の紹介に移った。

 「こちらは、米CIA(中央情報局)の作戦計画担当幹部ジョー・ビューリクとソ連専門家ジョージ・キスヴァルターです」

 CIAは、米国最強の諜報機関である。

 男は、素早く四人と目を合わせ、そして、一呼吸置いて、自分の名を告げた。

 「オレグ・ウラジミロビッチ・ペンコフスキー。所属は、GRU(ゲ・アル・ウ)で、階級は、大佐です」

 GRUは、ソ連国防軍参謀本部諜報総局の略称で、軍事情報収集、破壊工作、テロ活動などを行うソ連最強の軍事諜報機関である。その存在は、国内でも関係者以外には秘匿されており、国防軍内部でも、「44388部局」と呼ばれている。ペンコフスキーは、英米両国を対象に諜報活動を行うGRU第三指導部の特別班上級将校である。

 一般人が、男たちの素性を知っても、何が起きているかを理解することは不可能だろうが、関係者が、彼らの素性を知ったならば、一人残らず驚愕したであろう。血で血を洗う諜報合戦を繰り広げている仇敵同士、それも最高幹部クラスが一つ部屋にいるのである。

 それは、まさに前代未聞の光景だった。GRU大佐ペンコフスキーが、西側諜報機関と初めて正式にコンタクトを取った瞬間である。

 「お会いするのを楽しみにしていました」。シャゴールドが、笑顔を見せながら、ペンコフスキーにソファを勧め、それが合図であるかのように、全員が腰を降ろした。

 シャゴールドが、この部屋での会話は、複数の機械で全て録音する手筈になっていることを告げ、ペンコフスキーは、当然の事のようにうなずいた。

 ペンコフスキーは、背広のポケットから、二枚の身分証明書を取り出し、机の上に置いた。一枚は、GRU大佐のであり、もう一枚には、国家科学調査活動調整委員会(GKKNR)と書かれてあり、身分証明書番号「0406」、登録番号「79」の数字が刻印してあった。

 ペンコフスキーは、シャゴールドらを見ながら、「ご存じの通り、私の公の肩書きは、GKKNRの外国部次長、軍関係では、ソ連陸軍砲兵隊の予備役大佐、となっています」と言って、意味ありげな笑みを浮かべた。

 GKKNRは、国家科学・技術委員会(GKNT)が六一年四月初めに全面的に改組されて発足した。ソ連の経済計画の工業技術関連を主管、各国との科学技術の交流を一手に担っている。委員会という名称だが、ソ連閣僚会議(政府)に属しており、西側の「省」にあたる大規模な組織である。

 ペンコフスキーは、GKKNRの一般幹部職員という肩書きを隠れ蓑(カバー)にして、諜報活動を行うことを任務としていたのである。ペンコフスキーが、GRUの高級将校であることは、GKKNR内部でもトップである議長ら数人しか知らない極秘事項だった。GKKNRとGRUの関係をSISとCIAが知ったのも、これが初めてである。

 ペンコフスキーは、今回、英国の商社との間で貿易や技術交換を検討するために、貿易、技術などの専門家で構成されたソ連通商代表団の団長という肩書きで、ロンドンを訪れたのである。

 ソ連では、最大の諜報機関・KGB(カ・ゲ・ベ)(国家保安委員会)が国内にも徹底した監視の目を光らせており、高級官僚でさえ自由な海外旅行など夢物語だった。その中で、広範な海外出張が約束されている地位にいることは、高級諜報将校として権力の中枢で全幅の信頼を得ている証左だった。そして、ペンコフスキーは、ソ連指導部に幅広い人脈を持ち、軍事情報を始めとするあらゆる最高機密(トップ・シークレット)に接することのできる限られた人物のうちの一人だったのである。

 だが、ペンコフスキーのロンドン訪問には、ソ連指導部の誰もが気付かぬ秘された目的があった。ペンコフスキーは、西側諜報機関との間で「新しい同盟」を築こうとしていた。

 ペンコフスキーの鞄の中には、ソ連の軍事ミサイル関連の機密情報がギッシリと詰まった手書きの分厚いノートと、計約八十ページにものぼる膨大な極秘資料の写しが入っていた。

 それらは、ペンコフスキーが、この日のために用意した「贈り物(ギフト)」だった。

(World Review 編集長 松野仁貞)