2019年6月3日月曜日。タイの多く人たちは、その日が突然の休日となった本当の理由をよく理解できないまま、土曜日からの3連休を手持ち無沙汰に過ごしていた。カレンダーの「6月3日」を示す数字の色は、いつもの平日と変わらない黒色。祝祭日を表す赤色の丸印などもなく、年当初にはなかった予定が唐突に組まれたことを示していた。そして、その舞台裏を丹念にたどっていくと、単に休日が増えただけにとどまらない、タイの政治の将来を占う激しい神経戦の様相が浮き彫りとなってくるのであった。(World Review 編集部)

 事の発端は、ワチラロンコン新国王の戴冠式を3日後に控えた5月1日に起こった。その日掲載された官報の内容に、多くのタイ人有権者の目は釘付けとなった。新国王がスティダー・ワチラロンコン・ナ・アユタヤ陸軍大将を王妃に任命したという内容で、同国王としては1977年、94年、2001年に次ぐ4回目の結婚。タイミングからして、今後のラーマ10世(ワチラロンコン国王)の治世下に王妃であるのは、このスティダー妃以外にはいないという事実を大きく印象付ける狙いがあるものと受け止められた。


タイの首都バンコクで、婚姻の儀式に臨むワチラロンコン国王とスティダー・ワチラロンコン・ナ・アユタヤさん。タイのテレビ各社が共同設立した「テレビプール」の映像より(2019年5月1日撮影)。(c)THAI TV POOL / AFP

 王権の強いタイにおいて、王妃であることの意味は大きい。憲法上や組織上に明文規定などはないものの、慈悲深い「国父」である国王が国を団結に導いてくれる一方で、王妃はタイ王国民全ての「国母」であり、父とともに暖かく包んでくれるという共通の理解が、高齢層を中心に今なお厳然として残っている。在位70年を数えた前プミポン国王時代に確立したいわば王室観で、前国王統治の思想的な柱でもあった。


婚姻の儀の式典に臨むワチラロンコン国王とスティダー王妃(タイ王室庁提供)

 その前国王が亡くなったのは、陸軍がクーデターで現政権を掌握した2年余り後の16年10月のことだった。皇太子だったワチラロンコン国王が直ちに即位するものと多くの海外メディアなどは思った。ところが、皇太子は十分に時間をかけた。しばらく父の喪に服すと宣言する一方で、即位後は王室財産の一部を国王直轄としたほか、国会が可決した新憲法案の見直しを求めるなど、前国王時代にはあまり見られなかった〝政治介入〟を次々と進めていった。

 即位を内外に明らかにする戴冠式は、今年5月4~6日の日程で予定されていた。タイでは3月下旬に8年ぶりとなる総選挙が実施され、政治の季節を迎えていた。中央選挙管理委員会は開票結果の発表を戴冠式後まで引き延ばし、式典に与える影響を極限まで少なくしようと努めた。その矢先で起こったのが、先の婚姻の発表、そしてスティダー王妃の誕生日である6月3日の祝日化だった。


スティダー王妃(タイ王室庁提供)

スティダー王妃(タイ王室庁提供)

 王妃の写真や肖像画は今、国のあちこちで目にするようになった。航空機に搭乗すれば、前席のシートポケットには王妃の顔写真が大きく掲げられた雑誌が乗客が手にするのを待ち構えている。官庁や駅、空港などの公的機関の玄関口には巨大な肖像画が飾られている。そして、ネットで検索すれば王妃をたたえる動画も。少し前まで、国王の護衛部隊の一員に過ぎなかった王妃が〝時の人〟として大きく政治の舞台に登場を始めている。

 スティダー王妃は1978年生まれの41歳。現地紙によると、南部ソンクラー県にあるこの地方最大の都市ハートヤイの出身という。私立の名門アサンプション大学を卒業後に、ナショナルフラッグであるタイ国際航空に入社。国際線を中心に、客室乗務員としての経験を積んだ。ここで国王ないしは王室の知己を得た可能性が高い。

 その後、転機なったのが2014年の陸軍入隊だった。詳しい経緯は不明だが、間もなく皇太子であったワチラロンコン国王から警衛部隊の責任者に任命されている。国王が即位した16年12月には、最高位の階級である陸軍大将に昇任した。入隊年次が若く、しかも女性大将とあって、軍関係者の間で大きな話題となった。


 同王妃が注目を集めるのは、こうしたキャリアや資質もさることながら、国王の妻、すなわちワチラロンコン国王後を継ぐ次期国王の母となる可能性が極めて高いという点があるためだ。国王と王妃との間に現在、子がいるかどうかは明らかとされていないが、今後、41歳の王妃が懐妊する可能性は決して少なくない。激務である警衛部隊の任を解き、正式に王室に招き入れたのもそれが理由であれば説明が付く。そして何よりも、新国王の意志で世継ぎ問題が一気に進展するとなれば、その権威も父プミポン国王により近づくと考えられても何ら不思議はなかった。

 4回目の結婚となったワチラロンコン国王には、2人目の妻だったスチャーリニー元王妃との間に3人の男子と、3人目のシーラット元王妃の間に1人の男子がいることが明らかになっている。1924年制定の王室典範は王位継承権について「王籍のある男子にのみ適用」としており、王籍のない前者4人に継承権を認めず、後者のティパンコーンラッサミチョト王子ただ一人が、現状では王位を継承できる地位にある。

 14歳の同王子は現在ドイツに留学中で、国王は皇太子時代から頻繁にドイツを行き来している。その事実からも父子関係は良好とみられており、プミポン前国王も孫の成長に目を細めていたとされる。だが、王子の母であるシーラット元王妃は親族の大掛かりな汚職を理由に王籍を剥奪されており、当該汚職に警察中将の親族が関与し実刑判決を受けるなど、今なお快く思わない政界の有力者も少なくない。


3人目のシーラット元王妃(左端)とワチラロンコン国王(右から2番目)の間に生まれたティパンコーンラッサミチョト王子(中央)。2007年9月撮影=Getty Images

 このためであろうか。ワチラロンコン国王は未だ実子である王子を皇太子として指名していないばかりか、王位継承権の付与も行っていないし、言及も控えている。同国王と妹のシリントン王女に早々と王位継承権を与え、両者を競わすことで成長を促したとされるプミポン前国王とは極めて対照的だ。皇太子の任免権と王位継承権の付与剥奪の権限は、国王ただ一人が持つ大権と王室典範は定めている。

 ワチラロンコン国王が王位継承について何を考え、軍政から形式上のバトンを受け取ったばかりのプラユット新内閣(前暫定内閣)とどう渡り合っていくのかは、明示した発言などがないため正確なところは分からない。だが、国王と軍との微妙な緊張関係やこれまでの流れを考えた時、自らの治世下で強いリーダーシップを発揮していきたいと考える強い意志として汲み取ることは十分に可能だ。

 我々は2001年以降続いてきたタイの政治混乱を、タクシン派対反タクシン派の枠組みばかりで事態を捉えようとしてきた。今般の総選挙に伴う「民政復帰」に際してもそれがあった。だが、新たな潮流も一方では生まれつつあると見なければならない。軍の関与が極めて色濃い今後のタイの政治の中で、ワチラロンコン国王後の世継ぎをめぐる問題が新たな火種となる可能性は決して少なくはない。