その「ニュース」がソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を経由してタイの若者の間で拡散を始めたのは、2019年2月7日夕方のことだった。3月24日に予定された8年ぶりの下院総選挙を前に、出馬する各党が推す首相候補を届け出る受付最終日の前夜だった。 「タクシン派がウボンラット元王女(写真上 AFP)を擁立するらしい」 「よく、ジャスティンも了解したね」  若者の書き込みは、やがてジャスティンという謎の人物の評価に移り変わっていく。 「姉だから、言い含められたんじゃないの」 「事態の重大さが分からなかったのかなぁ」  トーンは次第にヒートアップ。そのうちに、とうとう本人たちの写真が情報に添えられて出回るようになった。3年前に逝去した故プミポン国王の長女ウボンラット元王女とともに映っていたのは、5月4日に戴冠式を迎えるラーマ10世。前国王の長男で同元王女の弟ワチラロンコン国王だった。 「ちょっと入れ墨が派手すぎるよね」


 カナダを拠点とするポップ歌手ジャスティン・ビーバー。精悍で甘いマスクが人気を集め、ティーンエージャーの女性の間で最も支持をされたスーパースターの一人だ。集金力も桁違いで、20歳の時に「世界のセレブ」30歳未満の部でトップに立った。推定資産額は約8000万ドル(約90億円)を超えるとされる。往年のマイケル・ジャクソンを思い起こさせる。  女性受けする顔立ちの一方で、彼のファッションの中で特に若者に強い影響を与えているのが、首筋や両腕、さらに下肢に描かれたタトゥー(入れ墨)だ。どの程度まで深く注入しているのかは分からないが、それらを模倣するファンは後を絶たない。ファッショナブルなタトゥーが、ジャスティンの魅力の重要な要素の一つになっている。 タイのワチラロンコン国王が背中や腕などに広くタトゥーを入れていることは周知の事実。息子が学校に通うドイツの百貨店や空港(写真)で、紋様のはみ出たタンクトップ姿が写真に収められたことがある。それは一気にSNSを通じて拡散し、タイ国民の耳目とするところとなった。ちょうど3年前、プミポン国王が逝去する前後のころだった。  SNS上の若者のネットワークを通じて、この頃から付いた符号が「ジャスティン」だった。タトゥーが共通のキーとなったことは想像に難くない。以来、タイのSNS界でジャスティンと言えば、誰もが次期国王だと理解した。不敬罪があるタイでは、匿名で語る必要があった。  タイ国家維持党によるウボンラット元王女の擁立劇を、ワチラロンコン国王が事前に知っていたのかどうかは、公式的には未来永劫、闇の中ということになるだろう。ただ、時系列で周辺事実を固めた時、「知らなかった」とするには相当の無理があるということを指摘しておきたい。


写真:NewsWeek

 2月7日夕方の第1報は、そのIPアドレスから、バンコクにあるタイ貢献党事務所の関係者から発せられたことが分かっている。「明日、重大な発表がある。我々の勝利は間違いない」。概略そんな内容だった。第一発信者の個人名が明らかとされなかったのは、情報を保秘するため。または、軍政に察知をされないため。さらには、陣営の高揚感からの勇み足だったと諸説あるものの、投稿の詳細が広く判明するまでそう時間はかからなかった。7日深夜には、少なからぬタイの有権者が詳報に接していた。  元王女がタクシン派から擁立されるとなれば、まだ首相候補者を明らかにしていない衛星政党の国家維持党よりほかはなかった。届け出の期限は翌8日。朝一番に届け出ることで終日、この話題で持ちきりとなるのを狙ったのだろう。朝陽が昇り始めたころから、広く外国メディアも察知するところとなり、早朝から中央選挙管理委員会事務局は賑わいを見せた。  翌朝午前9時すぎ、国家維持党の幹部がウボンラット元王女を首相候補とした名簿を選管に正式に提出。予測不能な事態に、当惑した選管では書類を預かるしかできなかった。提出後、維持党の幹部は満面の笑みで記者団の質問に答えた。詰めかけた報道陣も含め、脳裏に描いたのはタクシン派による地滑り的大勝利。2014年5月の軍事クーデターから苦節5年目の復権となるはずだった。 日系メディアも盛んにこの話題を持ち上げた。「潮目が変わった」「一発逆転の道筋が見えてくる」「国王も承知しているのだろう」。電子版も含め、紙面は興奮で満ちあふれていた。誰もが、タクシン派による逆転満塁サヨナラホームランが放たれたものと確信した。


タクシン派は国民に根強い人気がある。チェンマイの飲食店で(WORLD REVIEW編集部)

 長かった一日を終え、日系メディアのとある記者は朝からの空腹をビールとタイ料理で癒していた。元王女擁立による軍政の打倒。西側民主主義が大好きな国の記者たちは、ちょっとした祝宴に酔いしれていた。明日からの選挙戦取材も増員体制で臨むつもりでいた。沿道で支持者にもみくちゃにされるウボンラット元王女の写真と原稿を想定していた。  ところが、そこにタイ人助手から1本の電話が入る。「国王が反対する声明を出したらしい」。概略そんなところだった。そんな馬鹿な。まだ日付も変わっていないじゃないか。慌てた記者は職場に戻り、地元メディアの対応を確認した。  知らせは本当だった。同日深夜、ワチラロンコン国王はA4版1枚の用紙で声明文を発表した。短く、「王室の政治への関与は王室の伝統や慣習、文化に反するもので非常に不適切だ」と書かれてあった。声明は勅令の形式を採り、国王を元首に抱くタイでこれに逆らうことは国家反逆を意味した。ただ、声明が夜遅くとなったことや、どのような経緯があったのかなどは一切言及がなかった。  国王の緊急声明を受けて、「国王と王女の間にすり合わせがなかった」ことが原因だと分析記事を書いたのも日系の大手新聞だった。翌日昼のニュースで世界に向け大々的に発せられた。「王室のメンバーが特定の政党の首相候補になるのは極めて異例のため、王女の行動は国王の了承を得たうえでのものとの見方が広がっていた」とも記し、前日の〝勇み足〟を自己弁護した。だが、「すり合わせがなかった」とどうして断言できるのか。その根拠は何ら示されなかった。ここでも主要紙の迷走は続いていた。

 一方、タクシン派の国家維持党は声明翌日の9日、ウボンラット元王女の擁立を断念。「謹んで国王の指示に従う」と、取り下げる意向を示した。一時の高揚感は無意味だったほどに雲散霧消していた。タクシン派は大きく打撃を受けた。  それだけでは終わらなかった。選管は元王女の擁立は憲法が定める「国王を元首とする民主主義」を危機に貶めるとして、憲法裁判所に対し国家維持党の解党処分を申し立てた。それから約1ヶ月後の3月7日、憲法裁は訴えを全面的に認める決定を下した。同時に党幹部の10年間の公民権停止処分も言い渡した。  他方で、渦中の人物となった元王女は自身のインスタグラムでこの処分に触れ、「とても悲しい。気の滅入る出来事だ」と不満をにじませる投稿を行った。総選挙投票日の2日前には、香港で行われたタクシン元首相の末娘の結婚式にタイからわざわざ出席。事件後も親密な関係にあることを内外にアピールする結果となった。


タクシン元首相(左端)の末娘の結婚式に出席したウボンラット元王女(中央左)

 2014年5月のクーデター以降、軍政が最も腐心したのが、タクシン派が勝利しない総選挙制度の構築とその実施だった。新しい憲法の公布まで3年。さらに関連法の制定まで1年余りを費やした。憲法裁判所や中央選挙管理委員会などの独立機関の権限も大幅に強化し、かつてないほどの反タクシン包囲網を敷いた。サイバー機関を通じ、タクシン派の情報の流れにも目を光らせていた。  元王女の擁立工作は、こうした状況の中で軍も当然に、リアルタイムで察知をしていたと考えなければならない。当日の選管への届け出を受けて知ったなどとは、どうして信じることができるだろう。報告は軍政を経由して、たちまちのうちに軍出身者が過半を占める枢密院にも報告されるはずだ。国王に忠誠を誓う同院が、国王サイドに報告をしなかったとは考えにくい。となれば、報告から丸一日、声明を発するまでに国王と軍政との間でどのようなやり取りがあったのかが、真相を解く最終的な鍵となるといえそうだ。


ワチラロンコン国王(AP)

 ワチラロンコン国王の即位は2016年11月29日(即位日は10月13日に遡る)。前国王の崩御から大きく1月半が経過をしていた。この間、軍政は憲法の規定に基づき即位の要請を繰り返し行ったが、「喪に服したい」とする国王の強い意向で先送りとなっている。このため、元首の不在を穴埋めするため、一時的にプレーム枢密院議長が摂政代行に就くという前例のない旧憲法上の規定(第20条)が初めて適用された。  また、同国王は即位の直後に国民投票で承認された新憲法への施行のための署名も拒絶している。この時、国王の権限強化のためと受け止められる条文の修正も合わせて求めている。多数の国民から承認された憲法に対し国王が事後的に修正を求めることは、立憲主義思想が広く定着した現代社会では極めて異例のことだ。憲法秩序が想定しない出来事が、即位前後で相次いで重なったことになる。

 プミポン前国王が病に倒れるまで、「反タクシン」は王室と国王が統帥する軍の共通の理解だった。前国王の〝タクシン嫌い〟は特に有名で、2006年のクーデターもそれが引き金となった。一方、ワチラロンコン元国王はオーストラリア陸軍などへの留学経験が長く、西側諸国との軍事演習をめぐって指揮を執るなどしたことはあったとしても、タイ王国軍中枢の要職に就いたことはない。前国王ほどの軍との関係は築かれていないと見るのが一般的だ。タクシン派に対する立ち位置もほとんど報告されていない。  タイでは、前国王がワチラロンコン国王(当時は皇太子)と妹のシリントン王女の二人に王位継承権を与えていたことから、後継王位に誰が就くのかが決まらない状態が長らく続いていた。同王女は日本の秋篠宮家とも親交があるなど国際的にも明るく、タイの政軍官界の中にも王女を押す声が強くあった。皇太子でありながら、父の死去まで即位が現実のものとなるのか分からなかった兄の胸中はいかばかりだったことか。こうした中での前国王の崩御、一連の即位手続きが行われたのだった。  ワチラロンコン国王は5月4日に戴冠式を迎え、これにより名実ともにタイの新国王に就任する。国王のシンボルカラーである黄色の着衣の呼びかけや新国王の肖像画を取り入れた新紙幣が発行されるなど、軍政は新体制の定着に躍起だ。ウボンラット元王女の擁立劇は、こうした流れが絡まってできた束の間の〝ほころび〟と見ることができるだろう。未遂には終わったものの、タクシン派はその少ないチャンスを見事なまでに活用しようとした。三者三様の神経戦が、どうやら真相のようだ。(WORLD REVIEW 編集部)