◇小堀晋一のアジアリポート


 軍事クーデター後初めてとなる2019年3月の下院総選挙から間もなく約1年。タイの「民主」政治はここに来て大きな曲がり角に立っている。民意が選んだ第3党の「新未来党」に対し、憲法裁判所が政党法に違反したとして解党を命じたのだ。軍主導の政権にあって、憲法裁は事実上の軍の別動部隊。政敵を追い払ったのが実情だ。だが、事態はそんな簡単な構図に収まらない。一連の政治混乱の陰に深く根を張るのは民主主義を否定し続けるこの国の寡頭政治。世界規模で広がる民主主義破壊の連鎖と重なる。立憲革命から88年目を迎えたタイで、それは極めて深刻だ。(ジャーナリスト 在バンコク 小堀晋一)


■突然の解党命令と公民権停止

 タイ憲法裁による解党命令は2月21日に言い渡された。独立機関である選挙管理委員会の申し立てに対し憲法裁は、年間1000万バーツ(約3500万円)を超える個人献金を禁じた政党法に違反したとして、同党の解党とタナトーン党首(当時)ら16人の幹部に対し10年間の公民権停止を命じた。予想されたものとはいえ、異議を一切受け付けない終身判決に国際社会からは一斉に非難の声が上がった。

 解党判断の決め手となったタナトーン党首による1億9000万バーツの「寄付」は、新未来党の設立の際に行われたものだ。同党首は党への「貸し付け」で乗り切ろうとしたが、憲法裁は「1億9000万バーツもの巨費を返済できるだけの能力が党にはない」などとして、違法な寄付だと認定した。

 政党法が定める多額献金の禁止は、多くの国々でそうであるように、国民のためにある政治が特定の意思に欲しいままにされぬよう、国民の不断の監視と批判の下にさらされることを目的に定められている。これによって、民主政治の要である自由で公正な政党活動と政治活動が保証されると考える。ガラス張りが求められる。


新未来党タナトーン党首の遊説の様子。世代を超えた強固な支持を集めることはできなかった。(同党提供)


 父から引き継いだ資産を背景とした財界出身のタナトーン氏が、こうした民主政治の仕組みを十分に理解していなかったことについては同情の余地はない。持てる御曹司のいかに脇の甘かったことか。ただ、寄付者は彼一人であり、共同謀議や隠滅が画策されたわけでもない。630万もの票を投じた有権者の存在を考えた時、選挙結果を一挙に無にする解党命令まで必要だったかの点については疑義を挟まざるを得ない。連帯責任を負わされた幹部たちの公民権停止も同様だ。


■憲法裁の独走と政敵排除

 かつて、民主政治の外にある王権や軍といった権力から国民の権利と政治を守るために創設されたのが、今なお最も民主的と評されるタイ王国1997年憲法だった。ところが、ここで新たに導入されたのは三権を凌駕する権能を持つ憲法裁判所とその事実上の補佐機関としての独立機関だった。憲法裁に与えられた権限は通常の違憲審査を超え、ありとあらゆる立法・行政・司法上の事項にまで及んだ。公務員人事に、兼業禁止義務規定。いつしか、時の首相の失職を命じるまでに怪物は成長した。

 これを政権転覆に利用したのが、2000年代後半から10年代半ばにかけタイの政治に強い影響力を与えた保守層だった。多くが華僑に源流を持つ財界人たち。彼らは現存するタイ最古の政党である民主党を共通の家とし、自らの権益に触手を伸ばそうとしたタクシン派を裏切りと捉え、ことごとく排除に乗り出した。その実働部隊となって働いたのが、憲法裁であり独立機関だった。解党命令や失職命令が相次いだ。

 これらの機関の判事や委員らは、タクシン派の手の届かない保守層が支配する非民選の上院が選出権を握った。他方、上院を構成する議員については憲法裁判事などで作る特設の選出委員会が指名の権限を有していた。こうした持ちつ持たれつの強固な互恵関係は、カネに糸目を付けないさしものタクシン派でも切り崩しができなかった。やがて同派は失脚。タクシン、インラック両元首相ともタイに帰国すらできていない。


インラック前政権を倒した反タクシン派の集会の様子。寡頭体制の維持が最大の目的だった。(2014年、小堀晋一撮影)


■三権分立とは対局の親軍独裁

 軍事クーデターを経て、変わって表舞台に躍り出たのが最強の実力部隊を持つ陸軍だった。武力を母体とした政権は、国軍最高司令官だったスチンダー元首相が率いた1992年まで遡る。以来、すでに四半世紀が経過。軍アレルギーは大方の国民に風化をもって受け止められ、300人以上の死者を出した「暗黒の5月事件」の再現を懸念する声はほとんど聞かれなかった。「民政復帰」後の新政権誕生で、多くの民主党や保守系議員らが親軍政党「国民国家の力党」に雪崩を打って合流したことからも、それは容易に理解できる。

 新政権で首相に就任した元陸軍司令官のプラユット・チャンオチャー大将は2007年憲法を破棄し、新たに17年憲法を制定した。だが、基本的な統治機構の仕組みは前憲法、前々憲法をそのまま踏襲。憲法裁と独立機関については、むしろ権能を強化させた。従来にはなかった適正手続きを経ずした人権抑制が可能となり、三権分立とは対局にある盤石な支配体制が整った。

 そして、真っ先に槍玉に挙げられたのが、党首が「反軍」に言及した新未来党であった。タナトーン氏に民主化の旗手としてのカリスマ性があったからとか、「第2のタクシン」になり得る資質があったからではない。「イケメンだから」「格好いい」などとして初めて選挙権を行使した数百万人に上る若き有権者たちに、この国の拭いがたい寡頭政治の現実を示す必要があった。彼らの少なくない親たちも広範囲な層への支持が広がらない新未来党の限界を見抜き、体制維持の姿勢を崩してはいなかった。不測の事態に備え危険の芽を摘む必要があっただけのことにほかならなかった。


長期政権を目論むプラユット首相。盤石の支配体制に自信を深めるばかりだ。(首相府提供)


■3頭の大蛇による寡頭支配

 タイは歴代の憲法で「国王を元首とする民主主義国家」を標榜し続けている。幾度となく軍事クーデターや新憲法制定過程を繰り返しても、これだけは変わるところはない恒久規定として置き続けている。だが、それは裏を返せば、西洋に発祥した世界規模での民主主義への流れを拒否し、あくまでもタイ独自の国家体制を目指すとの意思表示とも読める。事実、プラユット首相は事あることに、「タイにはタイ独自の民主主義がある」と繰り返す。そして、その「独自の民主主義」が持つ民主主義の意味するところについては、政権はおろかもはや誰も語ろうとしない。

 王族、軍、財界の3つの伝統的政治勢力が、代わる代わるあるいは妥協し合いながら政治を担ってきたのが、1932年の立憲革命以来のタイの歴史だった。ある時は陸軍が批判の矢面に立たされると、代わって登場したのが国王だった。また、政治が一時の安定を見せると、期待されたのは経済成長の牽引役としての財界だった。さしずめそれは、3つの頭を持った大蛇のようであった。時にいがみ合いを見せるが、尾は一つで結ばれた形ばかりの呉越同舟であった。


■微笑みの国の「諦めの笑み」

 この間、一貫して政治から疎外され続けてきたのが、人口の圧倒的多数を占める貧しき農民だった。外資が進出し工業化が進んだ現在になっても、農民が工場労働者に代わっただけで、少数による支配、抑圧は変わらなかった。21世紀の20年が経過しようというのに、平等を担保する相続税制や固定資産税制ばかりか、不正を暴く司法や警察力がほとんど機能せず、アンダーグラウンドマネーがまかり通る現実を見ればそれは分かろうというものだ。

 多くの発展途上国と同様に、国策としての富の再分配が全く行われて来なかったのがタイの近現代政治の特徴だ。富める者はさらに富み、財産のなき者にアメリカンドリームは決して訪れない。この国の悲しき現実である。財界や政治勢力に生まれながらにして近しい国民の多くは、今なお農民の多い最貧の東北部(イサーン)出身者に冷笑を浴びせる。「税金も払わない、教育も受けていない彼らに政治的権利は必要ない」と。その後に残るのは、微笑みの国の諦めの笑みだけである。

 民主主義を否定し続ける寡頭政治がいつまで続くのかは分からない。世界には、民主化が進むかと見えた途端に反動化が進み、個人崇拝や独裁に転じた国も少なくない。経済の低迷から偏狭な自国第一主義に陥ったアメリカのような国もある。国家の行く末をめぐるドラマに正しい筋書きなどない。

 ただ、一つ言えることは、タイの現政権を担う軍勢力が何らかの理由で表舞台を去ったとしても、次に登場するのは国民の「崇拝」を受けた王族か、経済成長を公約に掲げた財界以外にはあり得ないということだ。そしてまた、その次にはみそぎを済ませた軍の再登板という展開も当然に準備されている。

 新未来党の解党処分は、時の政権による不安の除去という当初目的を大きく超えて、この国の存続にかけて民主主義を認めるわけにはいかないとするタイの意思と読むことができる。それが寡頭政治の本質であって、民主主義とは相容れぬものであることをタイ国民はもっと知るべきだ。そして、タイを周囲から見て関わり合いを持つ我々に対しても、安易な理解で論評したり報じることのないよう求めていると思えてならない。