◇小堀晋一のアジアリポート

 5年余りの軍政を経て7月半ばに発足したタイの新政権。発足直後に連立19党のうち1議席を持つ少数党が政権を離脱。与野党僅差での政権運営がより強まったことに加え、プラユット首相の就任宣誓式での発言と、さらには軍政の後ろ盾だった国家平和秩序評議会(NCPO、解散済)の議長を務めたことが首相の就任要件に抵触するかが憲法裁判所で審議されるなどしたが、いずれも憲法には抵触しないとの判断が出され、当面の火種は消し去られた格好だ。新たに、連立交渉の裏方を務めたタンマット副農相の学歴や海外での犯歴疑惑が取り沙汰されもするが、政権に与えるダメージは限定的と見られている。こうした中、首相は長期の政権運営を見通した組織固めを展開。そのための施策を着々と打ち出している。狙いは何なのか。クーデター発生直後から、「最低でも10年間は事実上の軍政が続く」と指摘し続けてきた筆者がタイの最新の政治状況をお伝えする。(ジャーナリスト 在バンコク 小堀晋一)


テレビ放送で全権掌握を告げるプラユット陸軍司令官(中央、当時。現首相)=2014年5月22日、テレビ放送から

 557件――。2014年5月の軍事クーデター発生以降、全権を掌握したNCPOによって発せられた「2014年暫定憲法第44条」に基づく勅令の累積件数だ。勅令とは民主的な手続きを経ずして統治者が下す命令を言い、その内訳は「布告」が132件、「命令」が214件、「議長命令」が211件に上る。およそ近代民主国家とは無縁のものとされる。

 三権のいずれをも超越した非常大権44条は、軍政にその統治の根拠を示し、人権抑圧にも正当性を与えてきた。中でも、「NCPO議長命令第3/2558号及び同第13/2558号」には、法令上の嫌疑なく一般国民を「7日間拘束する権限」が定められている。これにより、思想や言動に問題があったとされる者は当局によって任意に喚問され、その数は「民政復帰」までに計約1000人。多くが思想改造のための身体的な拘束を受け、釈放にあたっては今後政治に関与しないとする上申書の提出を義務づけられた。

 それだけではない。これら557件のうち約70件については不要になったとして廃止を見たものの、残る400件以上は今なお効力を持つ「法令」としてタイの法秩序を構成する。新たに公布施行された「2017年タイ王国憲法」は第279条で「(NCPO統治下による勅令は全て)新憲法下でも効力を持つ」と定める。改廃には、親軍政党が多数派を占める国会で現行法上の手続きが必要となる。


「私は政治家」。軍部の影を払拭して民主政権への移行をアピールするプラユット暫定首相(当時)=年頭記者会見(首相府提供)2018年1月4日

 〝身内〟の引き締めも強化した。事実上の軍トップ、アピラット陸軍司令官、ポーンピパット国軍最高司令官ら軍の中枢を占めるポストには、自らも陸軍司令官を務めたプラユット首相に連なる人脈を軒並み配置。警察も併せた実力部隊の首根っこを押さえている。地方の行政機構を束ねる内務相には陸軍時代の上司であるアヌポン元陸軍司令官を繰り返し留任させ、人事面で目を光らす。5年余りの軍政で異動を命じられた中央・地方の官吏は1000人を下らない。

2000年代半ば以降たびたび政権を転覆させ、「司法クーデター」と揶揄された憲法裁判所、並びに国家汚職防止委員会、国家オンブズマン、選挙管理委員会、国家人権委員会、国家会計検査委員会といった独立機関についても、人事と予算配分で自派閥入りを強化させた。下院では過半数に迫る野党がプラユット政権への攻撃を繰り返し仕掛けてくるが、憲法裁が迅速な対応でこれを封じ込めていることから見ても盤石な体制は容易に観察できる。タクシン元首相がかつて、1人2億バーツ(約7億円)で憲法裁判事を買収しようとした頃とは状況は天と地ほども異なっている。

 経済界や富裕層に向けた懐柔融和策にも切れ目を生じさせないよう配慮を続けている。前タクシン派政権時代に掲げられた全方位的な国土開発計画は軒並み棚上げされ、結果の見えやすい実施可能な事業に投資を集中させていく方針に変更された。バンコクを中心とした首都圏では複数の都市鉄道の建設が急ピッチで進められているほか、チョンブリー、ラヨーン、チャチューンサオの3県に広がる経済特区「東部経済回廊(EEC)」では大型インフラ事業が相次いで計画されている。

 このうち、ラヨーン県マープラプット港の拡張工事では9月24日に入札が承認され、ようやく事業化の目途が付いた。EEC開発では、首都圏3空港を結ぶ高速鉄道計画やレムチャバン港の第3期拡張計画など利権の絡む大型プロジェクトが目白押しで、今後これらについても弾みがつくものと見られている。


イラスト=愛知県バンコク産業情報センター

 2014年5月のクーデター直後、プラユット暫定首相(当時)は、確かに、タクシン派と反タクシン派に分断されたタイ国民の「和解」を目指したかのように映った。そのための大規模なイベントも全国で相次いで開催したし、首相自身がそれを詠んだ歌詞作りも披露した。街頭でも国民に繰り返し呼びかけた。

 だが、対立の根が深いことが次第に明らかになると、あるいは国民がそう感じるようになったのを機に、軍政は一気に舵を切りタクシン排除に突き進んだ。先に挙げた非常大権による拘束の多くはタクシン派だった。一人また一人と切り崩され、地方政治に強い影響力を持つ大物政治家の転向も相次ぐようになった。新たに導入された選挙制度も、最大の政敵が勝利しないための複雑な設計となった。


国外逃亡中ながらタクシン派を束ねて「軍部」政権と対峙するタクシン元首相(REUTERS)

 軍政色の強い新政権が今最も恐れるのは、タクシン派による政権の奪取だ。それが実現された時に脳裏に浮かぶのは、かつての元首相による人事介入の再現と、軍そのものの影響力の低下に他ならない。潮目はクーデターから1年も立たずして訪れていたと見るべきなのだろう。事実上の軍政は、訪れるかもしれないその日に強い畏怖を抱きながら、元首相没後までの時を維持する考えでいるのに違いない。