◇小堀晋一のアジアリポート

 マレーシアのマハティール政権が、一度は中止を言明したはずの高速鉄道「マレーシア東海岸鉄道」の再着手を決めて間もなく2カ月。総事業費を短縮することができたためと説明するものの、合弁相手であった中国側からの猛烈な巻き返しがあったことは想像に難くない。地元に落ちる仕事も確保できたとして、同様に中国との高速鉄道事業で蝕まれる一方のラオスの二の舞ではないことを強調する。だが、国内では先住民であるマレー系と中国から渡ってきた中華系との二つの巨大勢力がせめぎ合いを続けており、事業復活がマレー人優先策「ブミプトラ政策」を維持する政権のアキレス腱となる可能性については意外なほどに言及されていない。同政権は今後、内と外とのチャイナパワーの脅威にさらされることになる。(ジャーナリスト 在バンコク 小堀晋一)


東海岸鉄道の最着手を表明するマハティール首相(4月15日、マレーシア国営放送RTM)

 まずは、事業計画を簡単におさらいしておきたい。同鉄道は首都クアラルンプールに近いマレー半島西海岸の港町クランからほぼ真東に進路を取り、東海岸の主要都市バハン州クアンタンへ。ここから北に転じ海岸線と平行してタイ国境に近いクランタン州コタバルに至る総延長約640キロのルートだ。乗客の乗降できる19駅を想定し、2026年12月末の完成を予定している。もともとはナジブ前政権下で進められていたものだが、総選挙による政権交代後に新政権が中止を表明。中国政府との水面下での交渉を経て、10カ月後の今年5月になって突如、再着手が決まった。

 その経緯は極めて不可解だった。財政を担当するアズミン経済相が事業の廃止を閣議決定事項だとして繰り返し発言する中、マハティール首相は記者会見で再着手を一方的に表明。総事業を215億リンギット(約1兆2000億円)削減できたと強調し、「事業破棄によって生じる違約金217億8000万リンギットを合わせ考えれば、東海岸3州の経済発展と地域の利便性を向上させることに役立つ」などとして、総事業費440億リンギットの支出に理解を求めた。


マレーシア国鉄最南端のジョホールバル駅。対岸はシンガポール。(小堀晋一撮影)

 だが、数字だけを根拠として並べただけのこの説明が説得力を十分に持ったかと言えば、そうとは言えなかった。東海岸3州はそもそもナジブ前政権を支持した現野党の地盤。インフラの整備にかける現政権側の必要性はもともと乏しく、20年5月までの凍結を決めているシンガポールへの乗り入れを想定する高速鉄道新線を措いて優先すべき課題とは言えない。

 さらには、現在計画が進んでいる中部バハン州ジャルポと東部トレンガヌ州カンポングムロー間の総延長184キロに及ぶ高速道路を北に延伸すれば、懸案とされる東海岸沿一帯の開発も一気に弾みが付くのは明らか。経済効果としても、高速鉄道新線に巨費を投じるほどの国家的な見返りがあるのかどうか、甚だ不可解な巨額プロジェクトなのである。


マレーシアのクアラルンプール駅。英統治時代に建設された。(小堀晋一撮影)

 再登板となったマハティール政権は昨年5月に発足。財政再建を理由に、政敵となったナジブ政権時代の施策を次々と見直してきた。その象徴として槍玉に挙げたのが、高速鉄道新線の東海岸鉄道と首都圏近郊の大規模開発計画「バンダル・マレーシア」だった。

 バンダル計画とは、クアラルンプール南に広がる広大なエリアを企業活動や情報通信産業の拠点として開発し、1万戸にも上る住宅を供給して総合研究学園都市とする構想のことだ。中国の通信機器最大手ファーウェイやインターネット通販大手のアリババ集団など中国企業も進出を計画している。こちらも、新政権の発足とともに一時凍結とされていた。

 ところがである。マハティール首相は、4月15日に自ら首相府の演壇に立って東海岸鉄道の再着手を発表した後、わずかその4日に、今度はバンダル計画についても凍結を解き、再開すると表明したのだった。同月下旬に予定された中国訪問の〝土産話〟とするためとの観測も流れたが、あまりに中国寄りの、立て続けの中国企業との合弁再開に何らかの圧力や意図を感じた人も少なくない。


中国の習近平国家主席(右)との会談に臨んだマハティール首相(4月26日、The Malaysian Reserve)

 バンダル計画凍結解除の声明の中でマハティール首相は、「バンダル・マレーシアと東海岸鉄道は、一帯一路に大きく貢献する」と述べて、決断の背後に中国政府の意向があることを間接的に認めた。そして発言する言葉の節々で、先進国入りを目前に控えた今、停滞する現状から脱却するためには中国に依存せざるを得ない現状にあることをにじませた。


タイ・マレーシア国境に架かる鉄道橋。運行は停止したままだが、整備だけは続けられている。左がタイ。(小堀晋一撮影)

 ナジブ前政権、マハティール現政権のいずれもが、新設する東海岸鉄道をタイ国境のクランタン州まで延伸させたいとするのは、国境線を挟んだタイ側にタイ国鉄南部本線の終着駅スンガイコーロックがあるからに他ならない。1970年代初めまで、スンガイコーロックとマレーシア側のバシルマスまでは相互乗り入れの国際鉄道が運行していた。それが、タイ南部のイスラム過激派による爆弾テロ事件が多発したため運行を取りやめたという経緯がある。


パシルマス駅に入線するマレー鉄道東線の列車。(小堀晋一撮影)

 雲南省昆明からラオス・ビエンチャンまでの高速新線を建設中の中国は、ビエンチャン対岸のタイ・ノーンカイとバンコクを結ぶ同様の高速新線の建設も請け負う。既設のタイ国鉄線を経由し、さらに寸断されたタイ・マレーシア間国境の国際鉄道を復活させれば、中国雲南省からラオス、タイ、マレーシアを経てシンガポールまでつながる一大広域鉄道網が完成するというわけだ。マハティール首相はその代弁を行ったというわけだ。


シンガポールの金融街。中国はここに直通列車の乗り入れを画策している。(小堀晋一撮影)

 かつてこの地域は、国連機関などが「インドシナ半島縦貫鉄道計画」などとして構想を打ち上げたことのある国際鉄道未整備の地。国境を越えてレールが結ばれるとなれば、一気に市場規模も膨らむと試算される。加えて、中国が長年にわたり目論見続けた南シナ海とインド洋との陸路による輸送路も確保できる。

 陸のシルクロードによりかつての繁栄を得た中国は、その後の大航海時代の到来に伴う海のシルクロードの発達でその地位を追われた。それから数世紀。虎視眈々と復権を画策するチャイナパワーはインドシナ半島を実質的な支配下に置くことで、欧州勢力に変わる新たな東西交易路の支配者たらんことを目指している。そして、それはかつての「唐」や「元」を彷彿とさせる、ユーラシア大陸に燦然と横たわる大帝国の復活にもつながるのである。