◇小堀晋一のアジアリポート


 2020年5月4日月曜日。タイの決して少数派ではない人々は、その日がどうして祝日であるのかをよく理解できぬまま3連休の最終日を迎えていた。郵便局や銀行に足を運んでもシャッターが閉まっており、コロナ禍中にせっかく予定していた用事がはかどらない。店頭の掲示を見てちょうど1年前に現国王が即位、今年から戴冠記念日として祝日化されたと知ってようやく納得するのであった。  一方で、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)では国王を話題としたハッシュタグ付きのメッセージが盛んに飛び交い、王室と国民の新しい関係が模索されようとしていた。多くの人々が外出を控える新型コロナ禍にあって、それは奇しくもタブーとされてきたものについて考えるきっかけとなっていた。


 現国王のワチラロンコン国王(ラーマ10世)が即位したのは19年5月4日のこと。7月に68歳の誕生日を迎える。即位する3日前に王室警護部隊の陸軍大将だったスティダー王妃(41)と電撃結婚。証人をプラユット首相の陸軍時代の上司であったプレーム前枢密院議長が務めた。  ワチラロンコン国王には過去3度の結婚歴があり、前妻たちとの間に5人の男児がいる。王室典範によれば王位継承権を持つ者は直系男子に限られるが、国王が剥奪することもできる。現在、王族籍にあり継承権を持つのは5人のうち最年少のティパンコーン王子(15)ただ一人。他に、故プミポン前国王によって継承権が付与された現国王の妹シリントン王女(65)がいる。

王位継承権を有する唯一の直系男子ティパンコーン王子(首相府提供)

 ティパンコーン王子は現在、ドイツに留学中。このため、国王はたびたび同国を訪れては親子水入らずの時を過ごす。世界各地で新型コロナウイルスの感染拡大が広がる中、国王は3月下旬からはオーストリア国境にも近いドイツの4つ星高級ホテルGrand Hotel Sonnenbichlに滞在していた。


 だが、いつまでも山深いアルプスの山麓で私生活を送るわけにもいかない。4月6日には現チャックリー王朝の記念祝賀の儀が控えている。このため国王は、5日午後にチューリッヒを発つタイ航空機に搭乗してタイを目指す。帰国したのは6日午前8時すぎ。約2時間半のディレイだった。  帰国後、国王は医療機関を訪問し、新型コロナウイルスと戦う医療従事者らを見舞う。プラユット首相から報告も受けた。さらにアピラット陸軍司令官を通じて、バンコクの低所得者層居住区に消毒薬やマスクなど12万世帯分の配布も行った。合間を縫って王妃とともにPCR検査も受診している。

新型コロナウイルス治療のため医療機器をプラユット首相に贈るワチラロンコン国王。右はスティダー王妃(首相府提供)
医療従事者を表敬訪問するワチラロンコン国王(首相府)提供

 1782年に始まったチャックリー王朝の記念日を祝う祝賀の儀は滞りなく行われ、王室庁も政府関係者も一様に胸をなで下ろした。新型コロナの新規感染者も2桁台にまで減少。先が見通せる時期と重なった。国民の次なる関心は国王のその後の動向に集まったが、公務を終えたワチラロンコン国王は翌7日未明のタイ航空機でバンコクを出発。ドイツに戻ったとみられている。


 このころ、ツイッターなどタイ国内のSNSでは、王制についての将来を素朴に問うハッシュタグ「#มีกษัตริย์ไว้ทําไม」が利用者によって作られ、盛んに投稿がされていた。間もなく英語でもタグが立ち上がると、「Why do we need a king?」の訳文が当てられた。「なぜ私たちは国王を必要とするのですか?」。この数十年来、決して問われることのなかった禁忌(タブー)だった。  歴代憲法の上からも一貫して「国王を元首とする民主主義国家」を標榜してきたタイ。立憲王制は国の根幹であり、それ以外の政体を考慮する余地はどこにもない。現在の2017年憲法は国民投票にも掛けられ、過半数の賛成をもって成立している。自由な意見の表明は許されるとしても、実行力を伴った王制打倒の動きは憲法に反し、国家転覆罪にも問われる重大な「犯罪」とされている。  ハッシュタグ「#มีกษัตริย์ไว้ทําไม」は予想を大きく超えてツイートが繰り返され、ワチラロンコン国王がドイツに向かってからの24時間だけで120万回に達した。一時的な感情に走った心許ない書き込みも目立ったが、かつて考えてみたこともなかった国王・王室との関係を真正面に、建設的に受け止める精力的な投稿も少なくなかった。


 1932年に立憲革命を迎えたタイは、絶対王制から立憲王制へと転換。当時の王だったラーマ7世は間もなく退位し、甥のラーマ8世が即位した。しかし、同8世も20歳の時に謎の死を遂げ、急きょ弟のラーマ9世にバトンが回ってきたという経緯がある。  とはいえラーマ9世の治世は70年余に及び、国民の大半は国王と言えばプミポン国王を指し、「国父」であることを信じてやまない。東西冷戦やアジア独立の時代の中で、多分にプロパガンダ的な政府や国王自身の意志があったにせよ、立憲王制は一貫して多くの国民から支持され愛され続けた。タイにおいて「民主主義」とは、プミポン国王を通じて理解されるものに他ならなかった。  だが、16年10月の前国王逝去とともに、こうした理解と、それに基づく国民との関係は終わる。約1カ月半の服喪の後に即位したワチラロンコン国王は、父の時代をそのまま踏襲するだけではなく、次々と積極的な独自策を打ち出していった。  まずは、今般のドイツ滞在を想定してのことだったのだろう。新憲法草案の策定作業に際し、外遊中は摂政を置かないとの条文変更を時の暫定政府に認めさせた。次いで、王室財産の一部を管理する権限についても自身に移譲をさせている。  さらには昨年10月、首都バンコクを管轄とする陸軍の2個連隊を自身の指揮下に配置換えする勅令も発した。スティダー王妃をその副司令官に任命し、予算も付け替えるなど王室警護に万全な策を講じた。  一方、プミポン国王を支え盤石だった側近体制にも変化が現れた。20年以上の長きにわたり枢密院を率いてきたプレーム議長(元首相、元陸軍司令官)が戴冠式の直後に死去。後任には、元首相のスラユット元陸軍司令官が昇格したが、調整型の新議長の登場で国王の発言力は相対的に増すことになった。他の新任枢密顧問官についても年齢の上では国王と大きな開きはなくなった。  また、ワチラロンコン国王は私生活の上でも自身を貫いている。海外滞在中に外国メディアの射程となり、いくらプライバシーが晒されようとも、その基本的な姿勢に変化はなかった。海外で暮らすティパンコーン王子の元を訪ね、愛情と心血を注ぐことを欠かさなかった。

ワチラロンコン国王が3月下旬から滞在していたドイツの高級ホテルGrand Hotel Sonnenbichl(資料写真)

 もう一つ、ワチラロンコン国王は、国王としての最重要課題についても取り組みを見せている。いわゆる世継ぎの問題だ。既述のとおり、同国王の直系男子は現在ティパンコーン王子しか存在しない。しかも、同王子の母は既に王族籍を離れており、近い将来、〝正当性〟をめぐって疑義をはさむ不穏な動きが国内外に起こらないとも限らない。  そこで決断されたのが、戴冠式直前のスティダー王妃との電撃的な結婚と読むのが正当だろう。王妃が存在することで王子の存在も安泰となり、王室の将来にもさまざまな可能性と選択肢が広がる。素行不良で称号を剥奪された「高貴な配偶者」についても、この文脈であれば容易に理解ができる。

手製のマスクを作成し、ワチラロンコン国王に手渡すスティダー王妃(首相府提供)

 こうした国王自身の考えや国民の意識、さらには国民との関係が変化を遂げると、政府も従来の施策を見直さずにはいられなくなった。その最たるものが、今年1月に見直しが発表された一般道路における王室車列通行時の道路封鎖の中止だ。  貧富の差が激しく「VIP」という特権が顕在化するタイでは、王室やそれに準じる車列が一般道路を通行する際、警察官が出動し、付近を一斉封鎖する措置を取ってきた。慢性的な交通の混雑に悩まされているバンコクでは時にこれが大渋滞を引き起こし、社会問題としてはおろか、経済的な損失となるほどだった。  ツイッターなどのSNSでも国民の不満は大きく展開され、王室の車列を意味するハッシュタグ「#ขบวนเสด็จ」や英語表記の「#Royalmotorcade」が大流行。数万件に上る投稿が繰り返された。これを問題視し、いち早く反応したのが他ならぬワチラロンコン国王だった。  国王は王室車列時の通行のあり方を見直すように政府に要請。検討の結果、今後は付近一帯を一斉封鎖することなく、王室車両が通行する一部車線に三角コーン(道路コーン)を配置することで走行路を確保することとした。渋滞は大幅に減少した。

王室車列通行時の規制の様子(タイ字掲示板パンティップ)

 王室をめぐるハッシュタグ「#มีกษัตริย์ไว้ทําไม」を付した投稿は、新型コロナが終息をみる今になっても連日にわたって発信が続けられている。その内容からは、「これまで勉強と政治の話は切り離してきたが、考えてみるよいきっかけとなった」とか、「国民のためになる国のあり方って何だろう」などといった真摯なタイ国民の声を読み取ることができる。  国王と国民の関係、さらには国の政体のあり方は、関係相互の理解と協力によってのみ模索されていくものだ。急進的あるいは穏健な意見が交互に激しく錯綜するのは、その過渡期にあるからだろう。タイでは今、新たな時代を議論していこうという土壌と機運が生まれ始めている。(ジャーナリスト 在バンコク 小堀晋一)