Central London at night, 1936.Credit...Lacey/General Photographic Agency, via Getty Images

『最高機密』歴史の扉を開いた男たち<2>


プロローグ マウント・ロイヤル・ホテル


反乱は、音のしない機械である

                                   トロツキー


 季節はずれの霧が、ロンドンの街をうっすらと包んでいた。普段は、ハイド・パーク北東の入り口に建つマーブル・アーチから目と鼻の先に見えるマウント・ロイヤル・ホテルも、今夜は煙っている。

 マーブル・アーチは、一八二八年にバッキンガム宮殿の正門を飾る凱旋門として造られた大理石の白亜の門だが、一八五一年に現在の場所に移された。ロンドンを訪れる人々には格好の目印で、地下には「チューブ」の愛称で親しまれているロンドン地下鉄のマーブル・アーチ駅がある。地上は、東に向かってトッテナム・コート・ロードまで延びるローマ時代にできたロンドンの目抜き通りであるオックスフォード街(オックスフォード・ストリート)の起点となっている。

 マーブル・アーチから徒歩約二分、オックスフォード街に面して建つマウント・ロイヤル・ホテルは、一九三三年創業の八階建てのどっしりとした造りで、超高級ではないが、官庁街や金融の中心地シティまで地下鉄で約十分、バッキンガム宮殿なども散策圏内という立地の良さから、内外のビジネスマンや観光客で賑わっていた。

 オックスフォード街を挟んでマウント・ロイヤル・ホテルの南側、ハイド・パークの東側は、英国が貴族社会であることを今なお彷彿とさせるロンドン中心部の高級住宅街メイフェアが広がっている。ジョージアン様式の建物と緑あふれる街並みが、上流階級社会を垣間見させてくれる。ネルソン提督や詩人であるバイロン卿なども住んでいた。米国大使館も居を構えている。

 マウント・ロイヤル・ホテルの北側は、洒落たレストランやショップが点在するメリルボーンで、オックスフォード街と平行して東西に延びるメリルボーン・ロードを越えるとすぐに、蝋人形で知られるマダム・タッソーの館や、アーサー・コナン・ドイルの小説の主人公である名探偵シャーロック・ホームズの事務所の所在地「ベーカー街」に行き着く。

 この日もマウント・ロイヤル・ホテルは、、一日中人の出入りが激しく、一階のレセプション・ルームでは、ビジネスマンとおぼしき一団がディナー・パーティーを開いていた。アルコールが程よく回って、英語、ロシア語、英語訛りのロシア語、ロシア訛りの英語の談笑が飛び交っている。

 夜も更けて、パーティーが終わりに近付いたのを見計らって、一人の男が、会場を後にした。男は、アルコールを抜くように「ふーっ」と大きく息を吐くと、ロビーを行き来する人の流れにすぐに溶け込み、目立たぬように二階に通じる階段を昇り始めた。

 男は、中肉中背、ブルネットの髪にわずかながら白髪の交じった精悍な顔つきで、一見してソ連仕立てとわかるスーツを律儀に着込み、手には使い古した鞄を提げていた。厳格な規律が身に染み込んでおり、西側の自由の空気に馴染めぬ野暮なソ連人といった雰囲気で、男を見るでもなく目にした人々には、印象にさえ残らなかった。

 だが、二階の踊り場に出て、人がいないのを確認した男の目には、鷹のような鋭さが宿っていた。男は、踊り場を左に折れ、廊下の突き当たり右側の部屋をノックした。

 時計の針は、十一時きっかりを指していた。ノックを待っていたかのように男と旧知の英国人が、重厚な扉を開き、男を素早く部屋に招き入れた。

 一九六一年四月二十日のことである。首相(党第一書記)ニキータ・フルシチョフ率いるソ連と、同年一月に大統領に就任したばかりのジョン・F・ケネディが率いる米国が、超大国の威信を賭けてしのぎを削っていた時期である。

 英首相ウィンストン・チャーチルは、一九五〇年代末、核兵器を所有して対峙している米ソ超大国の状況を、「恐怖の均衡」という言葉で表現した。

 米ソ両国は、戦術核ミサイル(射程約九十キロ)、中距離弾道ミサイル(射程二千~四千五百キロ)を次々に開発、ついには、相手国まで約三十分で到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)を手にしていた。

 軍事対決は、核戦争を意味することになり、万が一、核が使われれば、双方に壊滅的な被害が出ることは、確実になった。全面核戦争ということになれば、全世界を滅亡の淵に追いやることになる。それ故に、核兵器を持っていても、米ソ両国は、容易に核兵器を使用できないというジレンマも背負った。チャーチルの言葉は、こうした状況を的確に指摘したものだった。

 その「恐怖の均衡」が、一九六〇年代初頭、ケネディとフルシチョフの時代に、初めて崩れ去る危機に直面した。舞台は、第二次大戦の戦後処理の不手際で東西に分裂したままのドイツ、ベルリン、そしてキューバだった。

 北大西洋条約機構軍(NATO)とワルシャワ条約機構軍が対峙する中で、一夜にして出現したベルリンの壁が、まず最初の危機をもたらした。東西両陣営が、境界線を挟んでの一触即発の状況が何度も生まれた。米ソ両国は、中距離弾道ミサイルと戦術核ミサイルを配備していた。

 そして、米国の喉元に位置するキューバには、ソ連が核ミサイルを持ち込んだのである。ソ連が持ち込んだのは、中距離弾道ミサイルと戦術核だった。中距離弾道ミサイルは、マイアミからワシントンDC、ニューヨークに至る東海岸全域を射程に収めていた。同時に配備された射程距離の長い新型の中距離弾道ミサイルは、米国本土の九八%を攻撃する能力を備えていた。いずれも数分以内に目標に到達するのである。

 米国にとっては、ベルリン危機の比ではない衝撃である。キューバを放置すれば、「恐怖の均衡」が崩れ、米国の一方的な敗北となるのは明らかだった。

 ベルリン情勢は、壁の出現が東西の市民に微妙な心理的な影響を及ぼして、「不幸な安定」状況が出現、東西両陣営はしのぎを削っているものの膠着状態が固定する。

 最大の危機は、キューバとなった。どちらかが軍事行動の引き金を引けば、全面対決、全面核戦争になるのは、明らかだった。米ソ両国は、「恐怖の均衡」をかろうじて保ったまま、水面下で「見えない戦争」を繰り広げた。

 それは、現実に軍を動かす代わりの「代理戦争」でもあった。米ソ二大超大国が、外交の舞台で激しいつばぜり合いを演じた水面下で、米CIA(中央情報局)、英SIS(秘密諜報部)とソ連の諜報機関KGB(カ・ゲ・ベ)(国家保安員会)、GRU(ゲ・アル・ウ)(ソ連国防軍参謀本部諜報総局)が、熾烈な戦いを演じたのである。

 「全面核戦争による人類の滅亡か、平和的解決か」という究極の命題が、彼らには課されていた。長いインテリジェンス(諜報、情報)の歴史の中でも、究極の力が、問われた時でもある。

 マウント・ロイヤル・ホテルのスィート・ルームの中では、英国人二人と米国人二人が、男を待っていた。静かに更けていく霧に煙ったロンドンの夜に、男たちが密かに接触したことに気付く者は、いなかった。

 そして、この六人の男たちでさえも、自分たちがベルリン危機、キューバ危機からケネデイ暗殺、フルシチョフ失脚へと続く激動の「歴史の扉」を開けたことを、誰一人として知る由もなかった。(World Review 編集長 松野仁貞)