◇松野仁貞のワールドリポート 

 英国の新首相に就任したボリス・ジョンソン氏。奔放な言動で名をはせてきたが、ラストネーム呼称が通例の英政界でファーストネームの「ボリス」で呼ばれている人気者でもある。最大の課題であるEU離脱では「合意なき離脱」も辞さない強硬派。議会対策で早期の解散・総選挙も取りざたされている。在ロンドンのジャーナリスト、ジョージ・ウォルシュ氏(本誌特約)は、ジョンソン首相を「Naughty Adult (やんちゃな大人)」と表現した。英国の舵取りに周囲の期待と不安が交錯するボリスのプライベートな横顔をリポートする。


ロンドン市長時代に来日した際のジョンソン首相=Photo:Stefan RousseauPA

◇人種のるつぼ人間(one-man melting pot)

 ジョンソン首相のフルネームは「Alexander Boris de Pfeffel Johnson」(アレクサンダー・ボリス・ド・プフェッフェル・ジョンソン)。英ガーデアン紙などによると、ジョンソン首相はオスマン帝国末期の内務大臣アリ・ケマルの子孫で、父方の祖父が第一次世界大戦中にイギリス国籍を取得。祖父の母親の旧姓であるジョンソン姓に改めたという。また、父方の先祖はイギリス王ジョージ2世にも連なっており、イギリス王ジョージ2世の玄孫が女優である愛人との間にもうけた庶出の娘がジョンソン首相の玄祖母にあたる。ド・プフェッフェル (de Pfeffel) は玄祖母の嫁いだ男爵家の家名。庶子を通じての血筋のために英国王位継承資格はないという。母方の先祖にはユダヤ系ロシア人もおり、ジョンソン首相は多国籍にわたる先祖(キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒)についてふれるたびに、自らを『人種のるつぼ人間』(one-man melting pot)と語っているという。

◇二重国籍の英下院議員、ロンドン市長、英外相

在ロンドンのジャーナリスト、ジョージ・ウォルシュ氏(本誌特約)によると、2017年2月、米財務省が公表した前年に米国籍を離脱した人物リストにジョンソン首相の名前が掲載されていた。ジョンソン首相は1964年6月19日、英国人で欧州議会議員だった父親の長男として父親が滞在中の米ニューヨークで生まれた。米国籍を離脱した正確な時期は特定できないが、2016年までの半世紀にわたって英国籍と同時に米国籍も持っていたことになる。その間、ジョンソン首相は庶民院(下院)議員3期、ロンドン市長2期の他に第一次、第二次メイ内閣で外相に就任しており、二重国籍のままで公職に在職していた珍しいケースという。ジョンソン首相は、2016年にキャメロン首相が辞任した際の有力後継の一人とみられていたが、保守党党首選には立候補せずにメイ前首相が選ばれている。ウォルシュ氏は「米国籍があるのを忘れていた可能性もある。首相ポストが現実的になったのを機に二重国籍を解消したと思われる」としている。


ロンドン市長時代に来日した際のジョンソン首相=Photo:Stefan RousseauPA

◇Ox (ford) Boy

家族と共にニューヨークから帰国したジョンソン首相はオックスフォード大学ベリオール校に進学した。同校はアダム・スミスをはじめ3人の英首相、5人のノーベル賞受賞者などを輩出した名門。デイリー・ミラー紙などによると、大学時代のジョンソン首相はOx (ford) Boyの典型で、アルコールとパーティーという「やんちゃ」な時間を満喫していたという。やんちゃは社会人になってからも変わることはなく、直近ではメイ首相の辞任を受けた保守党党首選挙期間中でも発揮された。在ロンドンのジャーナリスト、ジョージ・ウォルシュ氏(本誌特約)によると、6月16日、次期首相の座を狙う保守党の党首候補者たちによる初のテレビ討論会が開かれたがジョンソン首相の姿はなかった。ジョンソン首相は24歳違いの恋人キャリー・シモンズさん(31)の部屋で一緒にテレビで討論会を視聴していたという。シモンズさんは元保守党の広報担当で、ジョンソン首相の「イメージ戦略の仕掛け人」(ファイナンシャル・タイムズ紙)といわれており、討論会欠席は意図的に仕組まれたとみられるが、「ボリスはどこに行った」と大騒ぎになったという。さらに6月21日には、シモンズさんの家で大口げんか。近隣住民に通報されて警官2人が駆け付ける騒ぎになった。ジョンソン首相は二度の離婚経験があり現在は独身。ダウニング街10番地付近も賑やかになりそうだ。

◇「疑惑」のジャーナリスト

 ジョンソン首相の肩書きの一つがジャーナリスト。在ロンドンのジャーナリスト、ジョージ・ウォルシュ氏(本誌特約)によると、EU離脱強硬派のボリスらしいエピソードが満載だ。オックスフォード大学を卒業したジョンソン首相は、コンサルティング会社に就職するが「退屈過ぎる」(ジョンソン首相)との理由で約1週間で退職。英保守系紙タイムズに転職してジャーナリストの道を歩み始めるが、記事の中の学者のコメントを改ざんしたことが発覚してすぐ解雇される。次に職を得たのは保守系紙デイリー・テレグラフ。ここでボリスらしさが全開になる。1989年から1994年まで同紙のEC(現在のEU)特派員となったジョンソン首相は、ECの本拠地であるブリュッセルから反EC色の強い記事を発信し続け、数少ない欧州懐疑派として頭角を現す。サッチャー元首相もジョンソン首相の記事の愛読者だったというが、虚偽の事実や誇張表現をつかって故意にECの信用を貶めていたとの批判も根強かった。欧州との関係修復目指したメジャー政権時代には、英外務省内にジョンソン首相の記事を精査する特別チームが設置されたという。


ロンドン市長時代に来日した際のジョンソン首相=Photo:Stefan RousseauPA

ボリスのエピソードは分厚い一冊の本でも書ききれないほどだ。メイ政権の外相に就任する直前、EUへの残留を求めた米国のオバマ大統領に対して「オバマ大統領はケニア人の血が入っているので、反英国感情がある」と言い放ったことは記憶に新しい。だが、ボリスでなければ致命的となるスキャンダルや失言・放言の数々も首相への道を閉ざすことはなかった。「Naughty Adult」。奔放な言動が追い風になってきたボリスの真価が今、問われようとしている。(World Review 編集長 松野仁貞)